ぬくもり




 「今日は待降節最終日・・・・聖誕祭の前夜でしてね。明日になるとあちらこちらに呼ばれてしまって忙しいので、今夜のうちにお逢いして置きたいと思いまして」フォーティンブラスは、うんざりとした表情を隠しもしない宗矩に微笑み掛けた。枝が折れぬよう、ちょうど見頃を迎えている椿の枝から雪を払っていた宗矩はどうにも彼とは正反対の心持ちであるようだが、そんなことでめげていたのでは“神”などという特殊技能職は務まらないのだ。「新たな歳月の最初の日を愛しい人と共に迎えるということは、私には許されぬ我侭のようですからね。せめて、別れを告げねばならない過ぎ行く年の最後の日の想い出を、貴方からいただきたく思ってまかり越しました」
 「テメエ、舌噛んだことねェか? その回りくどい物言い・・・・」
 「貴方こそ、寒くありませんか、こんな服装で」
 「大きなお世話だ」そっと肩を包んだ手から素っ気無く身を躱し、宗矩は不機嫌極まりない表情で言い捨てた。「気安く触るんじゃねえ」
 「そう冷たくなさらないでください。寒さが余計に身に応えます」
 気弱なほどに優しい懇願と共に宗矩を抱き竦めた腕は、掻き口説くような口調に反して有無を言わせぬ強引さに溢れていた。驚かされたことへの腹立ちと、好いてもいない男に抱き締められる嫌悪感から力一杯もがいてみるが、何となく予想していた通り、まるで歯が立たない。宗矩は疲れるだけの抵抗を諦め、うんざりとため息をついた。
 「どうしろってんだよ・・・・」
 「情けない話ですが、寒い上に独りの誕生日を過ごすのはひどく寂しいので」フォーティンブラスは、想い人を包む如何にも嫌々といった雰囲気を見事に無視して、冬の寒さに冷えた耳朶にそっとくちづけた。「今夜だけ、傍にいてくださいませんか? 貴方の想い人も、今夜は戻らないのでしょう?」
 そう仕組んだのはおまえじゃないのかと言いたいところを懸命に抑え、宗矩は不承不承に頷いた。蒼鬼が遠出しているのはフォーティンブラスとは関わりのない用件のためではあるが、相手は曲りなりも“神”である。怒らせてしまえば、到底、“関わりのないこと”では済まされまい。
 「・・・・明日には帰すんだろうな?」
 「日付が変わればすぐに。愛しい貴方のためでも、残念ながらそれ以降は・・・・私にも色々と制約はありましてね」
 「結構なこった」
 「寒さが身に応えますね・・・・」嘲笑うような返答に、フォーティンブラスは哀しげな笑みを浮かべて雪雲に覆われた空を仰いだ。

 光溢れる大広間に、笑いさざめく煌びやかな装いの伴天連たち。壁際には山海の珍味が山と盛られたテーブルが並び、踊りに疲れたか飽きたかの男女がその傍らで大きなクッションに身を預け、艶かしく語り合う。
 これだけ賑やかな有様のどこがどう“寂しい”のかと、一瞬でも絆されてしまった自分が口惜しくて堪らず、筒袖に括り袴という素晴らしいまでの常着を着替える暇もなく連れ去られて来た宗矩は、ぶす〜っとした面持ちで壁にへばりついていた。しかし、不機嫌の権化となった宗矩に対して、傍らで何か飲み物を用意しているらしきフォーティンブラスはやけに嬉しげで、その様子がますます癪に障る。
 「どうぞ。ホット・パンチです。身体が温まりますよ」
 フォーティンブラスは、ぶすむくれている宗矩を貴重な花でも扱うかのような優しさで腕の中に包み、銅のゴブレットに注いだ燗酒を勧めた。断れば蒼鬼に悪い影響があると疑ってでもいるのか、不服そうな面持ちのままゴブレットを受け取った宗矩が、如何にも疑わしげにちびちびと中身を舐める。
 「そう警戒しないでください。こうして貴方が傍に来てくださったのですから、誰にも危害を加えるようなことはしませんよ」
 「・・・・信じろってか?」
 「おや、貴方に嘘をつけるとお考えとは・・・・心外ですね」
 「やかましい。テメエに口説かれて嬉しい道理がねェだろうが。せめて黙ってろ」
 「つれないですね」
 何のかんの言いつつもホット・パンチを飲み干し ―― 宗矩の好みに合わせたフレーバーなのだから、それこそ気に入らない道理はないのだが ―― 手持ち無沙汰な様子で広間を眺める宗矩と共に、しばし談笑する人々のダンスを観賞した後、フォーティンブラスは実にさり気無い仕草で宗矩の手からゴブレットを取り上げ、軽快なポルカから甘いワルツに変わった曲の中に彼を誘った。
 「な…っ、何だよ!? 西洋風の踊りなんて知らねェよ!」抵抗の暇もなくダンスの輪の中に引き込まれた宗矩は狼狽し切った様子で首を振ったが、腰に廻った手は相変わらず有無を言わせてくれず、たちまち雪のように白い衣装に包まれた胸に抱き込まれてしまう。肩を突き放そうとした手を捕らえられ、行き交う男女たちと同じ姿勢で身体を絡められてしまうと、もうどうにも逃げようがなかった。「放しやがれっ! 男同士でやるモンじゃねェだろうが!」
 「特に決め事はありませんよ」慌てる割には転ぶでもなく、立ち竦むでもない宗矩の器用さに感嘆と賞賛の表情を浮かべ、フォーティンブラスがあっさりと言う。「それに、別に人目を気にする必要はありません。彼らは私がどうしていようと気にはしませんから」
 「あァ? 寝言抜かすな。大して御利益もなさそうなテメエなんぞの誕生日を、それでも祝ってやろうって御人好しどもなんだろうがよ。神様名乗ってる野郎が馬鹿な真似してて気にならねェわけがあるか。一応なり主賓なんだろうがよ」
 「一応はね」フォーティンブラスは何故か皮肉な笑みを浮かべ、すれ違う男女に向けて無造作に片手を突き出した。衝突を予想して思わず身を竦めた宗矩の目の前で、笑いさざめくふたりが差し伸べた手を陽炎のようにすり抜け、何事もなかったかのように遠ざかって行く。
 「彼らは生きた人間ではありません。その源は生きた人間の中に在りはしますが」フォーティンブラスは、薄気味悪そうに人々を眺める宗矩を宥めるように言った。「私の誕生日に託けた祭典で楽しむ者たちの良心の呵責…といったものです。厳粛に祝うべき神の誕生日を自らの享楽の言い訳にする者たちが、せめてもと心に抱く祈りがこのような姿を取って、本来祝われるべき私を楽しませようと現われる」
 「ふ…ん・・・・」
 「だから、嫌いなのですよ。望んだわけでもなく、正直、私自身とは何ら関わりのない祝い事に周囲を騒がされるこの時期は・・・・独り身の寂しさが余計に応えますのでね」
 「独り身はテメエの勝手だろうが」
 「いいえ。私を愛してくださらない意中の人に、それでも真心を捧げたいと願ったが故の哀しい褒章ですよ」
 …などと、まるで他人事のように告げる声とは裏腹に、背に廻った手に縋るように抱き締められては抵抗出来ない。宗矩は言葉にならない罵倒を胸中で煮詰めながらも、致し方なくフォーティンブラスの腕の中で甘い音楽に身を任せていた。
 「もう、良いだろ・・・・疲れた」寄り添うにちょうど良い程度に寒い広間で当たり前の体温を持つ腕の中に包み込まれているためか、踊る前に飲んだ洋酒のためか、気を抜くと頭がぼうっとする。甘く髪を梳く指と宝石のように鏤められた灯りに何度も意識を持って行かれそうになって、宗矩は疎ましげに眉根を寄せて頭を振った。「喉渇いた・・・・休みてえ・・・・」
 「もちろん」フォーティンブラスは宗矩を晩餐の並んだテーブルの方へ誘い、未だ緊張の解けない身体を積み上げられたクッションの中に落ち着かせた。とりあえずシャンパンのグラスを渡し、透き通ったギヤマンを軽く触れ合わせる。「良き夜と貴方の優しさに」
 「へーへー。誕生日おめっとさん」宗矩は威嚇と不平が半々に篭った声のまま、一応、祝いの言葉らしきものを口にした。そんな無愛想な人間でも傍にいれば嬉しいのか、浮かれた様子で大皿に盛られた料理を取り分けているフォーティンブラスと、主賓であるはずの彼にまるで無関心な人々を交互に眺め、不愉快げにため息を重ねる。
 「どうぞ。味は悪くないと思いますよ」一通りの料理を取り分けた皿を差し出し、フォーティンブラスが勧める。
 「食いモンは要らねえ・・・・そいつの使い方わかんねーし」
 「ああ」フォーティンブラスは宗矩が目顔で示したフォークに眼を向け、そんなことかとばかりに微笑んだ。「はい」
 「ぶった斬るぞ」にこやかに差し出されたフォークに刺された鶏料理に、宗矩は呻くように言った。が、呻いた隙に一口大に切り分けた鶏を口の中に放り込まれてしまい、後が続かない。
 「空腹で倒れたのでは、隙を見せるにも程がありますよ」もごもごと、実に不服そうにロースト・チキンを噛んでいる宗矩を駄々っ子に困った親の如き寛容さで眺め、フォーティンブラスが告げる。告げたついでに次の一切れを差し出すと、宗矩は空腹を思い出したのか、それとも反抗心の跳ね返りを心配しているのか、今度はおとなしく口を開けた。
 「・・・・よォ」しばしおとなしくされるがままになっていた宗矩は、見ている方が恥ずかしくなるほどうきうきしているフォーティンブラスに心底不本意げに告げた。「何かねェの?」
 「甘いものが宜しければ、クリスマス・プディングやミンス・パイが・・・・」
 「いや、そうじゃなくってよ・・・・」
 「失礼。飲み物でしたか?」
 「誕生日なんだろうが」自分の手からしか食事を摂れない、雛鳥のように覚束無い想い人の仕草を眺めることが殊の外楽しいらしきフォーティンブラスを前に、術なく甘やかされている宗矩は深々とため息をついた。あまりにも嬉しげな様子が居た堪れなくなり、イライラと言い捨てる。「祝ってやるから、何かして欲しいことを言えってんだよ。ただし、ひとつだけ・・・・今だけで終われることだけだぞ。際限なく一緒にいろとか抜かしたら即刻ぶった斬るからな」
 「肌を重ねることを望んだら?」
 「・・・・好きなようにすりゃ良いだろうが」いずれにしても、フォーティンブラスが納得してくれない限り、宗矩にここから帰る術はない。
 「優しいですね、貴方は。好いてもいない相手に同情で与えるには、贈り物の上限が高過ぎますよ?」
 「うるせえ。さっさと決めろ」
 「では・・・・」
 すいと伸びて来た白い手に、宗矩はすっかり不貞腐れた様子で眼を伏せた。が、そのまま組み敷かれるものと思っていた身体を傍らに座ったフォーティンブラスの胸の中に抱き寄せられ、抑え切れなかった驚愕の表情が面に浮かぶ。
 「どうしました?」きょとんとしている宗矩に、フォーティンブラスが穏やかに問う。「日付が変わるまで、こうして・・・・そう、何か話してくださいませんか。貴方のお話を。貴方が見ているもの、知っていること・・・・何でも構いません。貴方の世界のぬくもりを、私にも分け与えてください」
 「えらく遠慮深いじゃねェか」
 「何の企みもありませんよ。誕生日の贈り物をくださるならば、終わるなり忘れ捨てられる逢瀬よりも、想い出にしていただけるような優しさと温かさを好むというだけのことです」
 第一、同情で抱かれてもらってもまったく嬉しくはない ―――― 冗談半分に笑い飛ばすフォーティンブラスの表情の中に鬩ぎ合うプライドと情欲の影を見て取り、宗矩はその夜初めて、緊張も邪気もない笑みを口の端に浮かべた。




Lycanthropeの炬様より甘い雰囲気漂う紳宗をいただきました…!
ダンスシーンを取り入れていただけて本当に嬉しいです!
はしゃぐ紳士可愛いなぁ…!と新たな面に目覚めさせていただきました(笑)
炬様、素敵なクリスマスの贈り物有難うございました…!



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