初雪




 寒風の中、寒牡丹を丹精していた宗矩は、視界を掠め落ちた小さな影にはたと顔を上げた。白い小さな影がはらはらと風に舞い、足元に落ちては儚く消えて行く。
 「初雪、か・・・・」宗矩は銀鼠の空を見上げ、次々と舞い落ちて来る雪の只中に手を伸ばした。「桜の花びらみてえ・・・・」
 まるであの日、楼閣を包むかのように天空から降り注いだ、哀しいほど美しい花びらのようだ ―――― そう考えた途端、冷気に痺れ掛けていた指先が不意に出所のわからない温もりに包まれた。驚いた宗矩が慌てて手を引き戻すと、指先を包んだ眼に見えぬ温もりは大気の中に名匠が雪の筆を揮ったかのような素早さで人の手の形を纏い、次いで手首が、肩が、やがて身体全体が、身を切る冷気の中に形作られて行く。
 「―――…風邪をひきますよ」まるで舞い落ちる雪のような軽やかさで庭に降り立った人物が、長身を少し屈めて慕わしげに微笑んだ。「貴方がそう無防備に寒風に身を晒しておられては、雪の精も心配します」
 「雪の精なんて可愛らしげなガラかよ、テメエが!」文字通り飛び上がるほど驚かされた宗矩は不機嫌に言い捨て、軽く絡められた指を振り払った。「何しに来やがった!」
 「ははは…相変わらず容赦がないですね」珍しく和装に身を包んだフォーティンブラスが、もう慣れてしまったと言わんばかりの気軽さで宗矩の素っ気無さを笑い飛ばす。「無論、愛しい貴方に逢うために参りました」
 「良い迷惑だ」
 「申し訳ありません。しかし、神の身を以ってしても、貴方への想いを消し去る術を見つけられないものですから」
 宗矩は何か言いたげに唇を震わせたが、何を言っても揚げ足を取られると思ったか、実に不機嫌な表情で口を噤んだ。
 「これですか?」音もなく降り頻る雪に白く烟る世界を鮮烈に貫く紅い瞳が、好奇心よりも猜疑心の強い目つきで自分を見詰めていることに気づいたフォーティンブラスは、腕組みを解いて新調した服が宗矩によく見えるようにした。「貴方に寄り添うには、この方が映えるかと思いましたのでね。如何ですか?」
 「如何じゃねェだろ、何て合わせ方しやがる」白地に菖蒲の裾模様が入った小袖に薄花色の羽織という取り合わせに、宗矩は胸底からきっぱりと言い放った。「この冬の最中に寒々しい」
 「本当に容赦がないですね・・・・」
 「テメエの世界にゃ他に色がねェのかよ?」洋装と和装の違いこそあれ、どちらも同じ色合いで組み立てられた着衣に、宗矩が呆れ半分に眉を顰める。「愛想のない色ばっか選びやがって」
 「漆黒と深紅も知っていますし、大変好きですがね。しかし、それらは貴方が纏うからこそ鮮烈で美しい」
 「このクソ寒い最中に寒気がするようなこと抜かすんじゃねェッ!」宗矩は本気で身震いしながら言い捨てた。こんな道楽者とも諧謔者ともつかない、御利益皆無の神様など放って置いて庭仕事に戻りたい気もするし、そうしたところで誰にも責められる謂れもないのだが、しかし、奇妙に御人好しな心の一隅がどうしても黙ってくれなくて、宗矩は実に渋々と、ため息混じりにつぶやいた。「・・・・合わせが左前になってるぜ」
 「ヒダリマエ・・・・?」
 「左の襟を先に引き寄せて着る着方のこったよ。それじゃ懐に手が入らないだろうが…って、左利きかよ」物珍しげに牡丹の花を掬い取ったフォーティンブラスの手が左手であることを見て取り、宗矩がため息をつく。「あのな・・・・長着の左衽を内側にして着るのは“左前”っつって、縁起が悪ィんだよ。死装束以外でンな着方するヤツなんざいねェんだ」
 「ほう・・・・面白い慣わしですね」
 「面白いってなァ、おい・・・・」本気で好奇心以外のものを感じない様子のフォーティンブラスに呆れた宗矩は、しばらくして、それも無理はないのかとため息をついた。色々と納得出来ない点もあるが、何分、相手は“神”だ。神仏が縁起を気にするとは思い難い。「・・・・ちょっと来い」
 「何ですか?」
 「それじゃ見栄えが悪いだろうが。直してやるから、ちょっと奥に来いっつーんだよ。このクソ寒いのに縁側で帯解きたかねェだろ」
 別に縁起も見栄えも気にする必要はないのだが、宗矩が部屋に上げてくれて、手ずから着付けを直してくれると言うのを断る理由は更にない。フォーティンブラスは、正直、扱いに困っている草履履きの足でいささか危なっかしく宗矩の後を追い、縁側に上がった。草履を脱ぐと、やはり途端にほっとする。ほっとするばかりか、先程までの倍の速度で動くことが出来る。
 「ところで」ぶつぶつ言いながら先に立って部屋に入ろうとする宗矩に素早く追いつき、フォーティンブラスは如何にも気軽な口調で言いながら、うっすらと雪を吸った紬の肩を掌に包んだ。「連れ添う相手の留守中に部屋へ上げてくださって、帯を解けと仰るからには・・・・期待して宜しいですか?」
 「そのまま棺桶にブチ込むぞボケナス野郎!」宗矩は間髪容れずに怒鳴りつけた。「余計な真似しやがったらタダじゃ置かねえっ!」
 「はいはい」それでも、もう着付けを直してやらないだとか、寒風吹き荒ぶ縁側で着替えろだとか、そういうことは言わないのだなと、フォーティンブラスは感心や期待や物悲しさが混ざり合った複雑な心境でため息をついた。宗矩の優しさは残酷だ。柔らかく、美しく見えて、その実、命さえ凍らせる冷たい刃を秘め隠した雪の如く。「しかし・・・・だからこそ惹かれるのでしょう。人が、その冷たさを知ってなお、雪の美しさに焦がれるように・・・・」
 「寝言ほざいてねェでさっさと入れ。寒いだろうが」
 「はいはい」フォーティンブラスは、我侭な幼な妻に手を焼いて喜んでいる若旦那の如き寛容さで微笑み、火鉢の焚かれた部屋に上がって障子を閉めた。




Lycanthropeの炬様より雪の綺麗さにまで見惚れる素敵な紳宗を頂きました…!
洋装も素敵だけど和装も本当に素敵ですね…!どちらの良さもお書きになれるお力に感嘆するばかりです…!
二人の距離感がとても好きです…!
炬様、素敵な紳宗と雪景色を見せてくださって本当に有難うございました…!



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